HOME > 丹尾遺産車両解説 丹尾遺産車両概説 DD14 312 DD14形式除雪用ディーゼル機関車(ロータリー型) 1 北海道をはじめとする豪雪地帯の除雪用として開発された機関車。従来、動力を持たない除雪車を蒸気機関車で推進させることで行っていた線路の除雪を、ディーゼル機関車自らの動力で、機関車そのものと機関車と直結した投雪装置(ロータリーヘッド)を動かすことで、除雪性能のアップと除雪作業の合理化が図られるようになった。 2 DD14の製造当初は、排雪装置部分の構造に問題があったため、何度も改良が加えられた。この312号機は、ロールバー式羽根車を製造当初より装着した、安定した性能の得られた機関車である。 3 全長21050㎜(投雪装置装着時) 台車形式DT113G ディーゼル機関DMF31SBR×2 連続定格出力1000PS 運転整備重量約72.5t 最大運転速度70km/h 製造初年1960(昭和35)年
キ754 キ700形式貨車(ジョルダン式雪かき車)
1 主に操車場等広い場所を効率よく除雪するための除雪車。アメリカから導入された車両を基に国産化された。車体側面の左右に、ラッセル式雪かき車よりもはるかに長い主翼を持ち、最大7メートル幅まで一度に除雪することができた。機動力のあるディーゼル除雪用機関車やハイモ(排雪モーターカー)に押されて、次第に出番が少なくなっていった。 2 道内では、操車場で引き続きジョルダン式雪かき車の需要が高かったことから、翼の駆動を空気圧式から油圧式に変更するなどの近代的装備に更新された750番台へ改造された。この車両も、改造を受けた1両である。 3 全長10620㎜(先頭翼部分除く) 自重約35.3t 製造初年1928(昭和3)年 改造初年1980(昭和55)年
1 国鉄の優等列車の無煙化に大きく貢献した、キハ58系気動車の一員。特徴は何と言っても、北海道向けに装備された各種耐寒装備である。外形的には、本州以西向けの同系列よりも100㎜小さい客席窓、そしてこの客室窓は二重窓となっていて、床が板張り(本州以西向けキハ58系はリノリューム張り)であることと併せ、北海道の車両を最も特徴付けているといえる。 2 当車両はキハ27の中でも初期型に属する。北見においては、急勾配区間の長い石北本線を走る関係で、エンジン2基のキハ56が札幌行き急行大雪に入っていた。キハ27は、勾配の緩い釧網本線の急行しれとこの運用に入っていた。 3 全長21300㎜ 台車形式DT22A、TR51A ディーゼル機関DMH17H×1 標準出力180PS 自重33.8t 定員84名 製造初年1961(昭和36)年
1 蒸気機関車時代から使用されている雪かき車で、合計194両が製造又は改造された、雪かき車の代名詞とも言える形式である。その活動範囲は広く、北海道から山陰に及ぶ。私鉄に譲渡された一部車両は、未だ現役で使用されている。 2 側翼は4.5mまで開くことができる。除雪を行う際は、先頭にある連結器を車体に引き込むことで、雪の抵抗を少なくすることができる。また、この形式で特徴的な、屋根上に並ぶエアタンクは、翼など各部分を作動させる空気シリンダ用の圧縮空気を溜めるためのもので、機関車の元空気だめから供給される。 3 全長10640㎜ 自重約31.1t 製造初年1928(昭和3)年
スユ15 2033 スユ15形式郵便車
1 郵便物のみを輸送する目的で製作された車両。乗客が乗る部屋や、国鉄が取り扱っていた手荷物(チッキ)、小荷物を積載する部屋は車両の中には無い。郵便物のみを取り扱う車両は郵政省(当時)が所有していた。一方、車両の中に荷物や乗客の部屋と一緒に郵便物の部屋がある車両は、合造車と呼ばれ国鉄所有であった。 2 郵便車には、車両の中で郵便局同様に郵便物の区分けができるようになっている車両(扱い便用車両)と、車内で郵便物の区分けを行わず、専ら郵袋を積載する機能を持つ車両(護送便用車両)とに分けられる。当車両は後者の護送便専用車両であり、車内に郵袋室が広く取られているのが特徴である。 スユ15は車体の形状により大きく3グループに分かれる。当車両は1981(昭和56)年から製造されたグループで、同時期に製造された50系客車と同様の折妻車体となっている。この車両は、鉄道郵便車の最後まで使用されたが、その間わずか5年という短命であり、鉄道車両としての寿命を全うできなかったという意味で、悲運の車両といえる。ウェブサイトなどの情報を総合すると、郵便車(合造車を除く)自体の保存事例が、全国で他に2両しかない。スユ15の保存は、全国で当車両だけである。 3 全長20000㎜ 台車形式TR217E 自重27.3t 荷重14t 製造初年1973(昭和48)年
1 かつて国鉄の貨物列車には、その最後尾に車掌が乗務する車掌車が必ず連結されていた。当形式は、戦後に製造された最もポピュラーな車掌車である。その活躍範囲は全国に及んだ。オープンデッキを介して乗車し、室内には机、椅子、石炭ストーブが設置された。 2 当形式は1,300両以上製造され全国で活躍したが、走り装置を2段リンク式に改造され、多くの車両がヨ5000形式に改められた。北海道には、改造を受けなかった当形式が多数存在し、その意味でも道内ゆかりの車両といえる。 3 全長7200㎜ 自重9.6t 走り装置1段リンク式 製造初年1950(昭和25)年
1 有がい車(一般的な貨物を積む屋根付の車両)の半分に車掌室を設けた形式で、主にローカル線の貨物輸送に活躍した。前述のヨ3500形式と同時期に製造され、形状も良く似ている。全国で活躍したが、道内でも広く活躍した。 2 他の車掌車同様、保存事例はいくつかあるが、道内ゆかりの形式が、3両同時に比較しながら見られるのは珍しい。 3 全長7850㎜ 自重10.8t 走り装置2段リンク式 製造初年1955(昭和30)年 尚、この車両は網走駅に常備されておりました。
<参考資料> 国鉄私鉄客車列車1984(鉄道ジャーナル社) 日本鉄道旅行歴史地図帳 1号 北海道全線全駅全優等列車(新潮社) 鉄道博物館第4回企画展図録 雪に挑む(鉄道博物館) レイル・マガジン各号(ネコ・パブリッシング) その他、ウィキペディアを初めとしたウェブサイトを参考にさせていただきました。 2011年9月(2011年11月修正) (文責 正会員・濱田 勉)
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